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フランスという国

12月中旬から後半にかけてフランスへ行ってきた。これまでにも、フランス人とは一緒に仕事をしたこともあるし、フランス料理も何度も食べている。馴染み深い国、という先入観があったのは確かだ。ところが、行ってみて分かった。馴染み深いとは、私の大〜きな勘違いだったのだ。気付いた範囲で書いてみる。

食事

フランス料理といえば世界中でもトップクラスとされているほどに有名だ。私もアメリカでも日本でもフランス料理をいただいたりしてきた。いわゆるフルコースのものからそうでないものまで。いずれにしても「おいしかった」。しかし、本場では、何と空振りが多かったことか。行ったレストランが悪かっただけかもしれないが、10日間の旅で数十件のレストランを廻り、「おいしい」レストランはたった1軒だけだった。これは決して運が悪いだけでは済まされないのではないだろうか。あれほどの味であれば、アメリカならファミレスでお安くいただくことができる。フランス人は味覚音痴が多いのではないだろうか、などと勘繰ってしまった。

道路標識

とにかく分かり辛い。時速60kmで運転しているわけだから、標識は当然人間工学に基づいて配置されたり、ぱっと見で理解できるように認知学的にも考慮されているはずなのではないだろうか。フランス人にとっては分かりやすい標識だ、ということなのだろうが、私にも一緒に行ったアメリカ人の友人にも分かり辛い標識だった。たとえば、「どこどこ行き」の標識だが、直進するにも関わらず標識は左を指している。つまり、遠近法を頭において見ればよいのかもしれないのだが、素人は混乱する。

道路

さて、フランスと言って想像するのは、恋人たちの町、ロマンチック、エレガント、といった感じではないだろうか。うーーん。。。確かに恋人たちは多いのかもしれないが、町自体はとても汚い。道路にはゴミが散らかっているし、パリ以外の町ではワンちゃんの糞があちこちに落ちている。あまりに多すぎて避けて通ると「ケンケンパー」をしているように見えてしまうほど。情けない。でも踏むのはイヤだ!景色を楽しみながら歩くことなぞ絶対できない。

英語

基本的に英語は通じる。だが、こちら側がフランス語を喋ろうとする努力があるかないかで態度は違う。いきなり英語で話しかけると、喋り終わる前に手を上げて「英語は喋れないわよ」と大声で言われたりする。本当のところはどうか分からない。また、こちらが一生懸命フランス語を話そうという努力を見せると、最初はむっつりしてフランス語しか話さないが、途中でにまっと笑って何とも流暢な英語で返事をしてくれたりもする。

一方、明らかに英語が話せないのであろうおばあさんなどは、こちらが理解できないだろうと予想はついていても、大きな声でゆっくりとフランス語で説明し続ける。あーそういえば、こんなタイプの日本人はいるよなー、と思い出したりもした。

もちろん、フランスという国に行くのだからフランス語で会話しようと努力するのが当たり前だ。でも、あの発音、難しすぎる!! 「ボンジュール」とカタカナで書かれたように発音すると、一瞬「へっ」という顔をされる。どちらかというと、「ボンジグゥーーー」と書くべきではないだろうか。「グゥーーー」の部分は喉の置くでガーガーと音を立てたようにする。「メルシー」も同じだ。私にはどちらかというと、「メッグァシー」と聞こえる。この場合の「グァ」も喉のブルブルだ。あー、フランス語を喋れる人にコツを教えてもらいたい。

フランス人 --- パリッ子 vs. プロヴァンスっ子

さて、パリっ子だが、第一印象は、とにかく暗い。カリフォルニアのミッキースマイルに馴れてしまったせいなのか、笑みの少なさには驚いてしまった。確かに冬で寒いし、口を開けていつも笑っているわけにもいかないだろうが。

一方プロヴァンスの人間は底抜けに明るい。電車で会ったおばちゃんたちなど、数分話しただけでお友達になったような気分になるほど。これは気候のせいだろうか。

ただ、どちらにも共通して言えるのは (他の地方については知らない)、ちょっとだけ抜けている、ということだ。抜けている、というよりはズボラといった方がよいのかもしれない。たとえば、レンタカー。普通 (という概念を捨てなければいけないのかもしれないが)、新しく借りる場合は、洗車された車が用意される (まあアメリカや日本ではそれが普通だ)。ところが、フランスでは違う。ちょっとだけ汚れているだけなら洗わない。内装もちょっとだけ汚いだけなら掃除しない。それが普通らしい。ちょっとだけ、の感覚も違うようで、私の感覚からするとかなり汚かったのだが。

ホテルにチェックインした際にもちょっとした間抜けに遭遇した。フロントのお兄ちゃんが気持ちよく迎えてくれ、あらかじめ予約を入れていたせいか部屋の番号を書いた紙と鍵をすぐに手渡してくれた。なかなかのサービスだと満足しながらエレベータを待ち (このエレベータも珍しく、フロントのある階からは上方向に行くが、その上の階から上へは行かない。つまり、いったんフロントのある階に戻ってから上へと上がらなければならない。まあ、自分の階より上に行く人も珍しいだろうが)、部屋の鍵を開けようとしたら、開かない。手渡された紙を確認すると、確かにそこに書かれている部屋番号の前にいる。もう一度挑戦。開かない。うーーん、と思い鍵を見てみたら、まったく違う部屋番号が書かれているではないか。お兄さんは、正しい部屋番号が書かれた紙と間違った鍵とを渡してくれたのだ。何ともプロフェッショナルな態度とのギャップが激しすぎた。

10日間の滞在で、他にもこのような場面に多々遭遇した。あまり書くとフランス人のことが嫌いなのかと誤解されてしまうと困るので止めておく。基本的にはとってもいい人たちだ。庶民は質素に暮らしながらも、日々の暮らしの中で重要なものを何となくわきまえているかのようにも感じた。家族を大切にすることでも有名なフランス人。効率のよさを追求し、せっせと働いて出世の階段を上ることに集中するよりは、いかに家族と楽しく人生を送れるかにこだわっているのかもしれない。

とどのつまり...

さて、いろいろ書いてしまったが、フランスという国はある意味でとっても効率性が悪く、オーガナイズされていないが、一方ででとても品格があり高い文化を持つ国でもある。そして、公のうんぬん、というよりはむしろ個を重要視する傾向があるのかもしれない。それが如実に効率性の悪さや町の汚さにつながっているのではないだろうか、と下種の勘繰りとやらをしてみた。家族で食事をしているフランス人は廻りのことなど気にせずに、とても陽気で楽しそうに見えた。まあ、たったの10日間の旅行だったので、大幅間違った見解をもった可能性は高いだろう。ただ、今まで遠くでフランスは馴染みのある国と思い込んでいた私には新しい発見だった。

# 旅行記 (今回はちょっと趣向を変えて日記形式はやめました) もあわせてご覧ください。

 

 

 

Last Update : 2002-12-30