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2001年1月24日 マドリッドからコルドバへ


この朝私は妙に早くに目がさめてしまった。朝の7時から予定されていたテレコンのせいでもあるが、6時には床から上がり、風呂に入って6時半から7時までテレコンの準備をした。7時5分前、AT&T当てに電話をかけてテレコンにつなごうとする。ところが、つながらない。宿泊していたホテルの電話は何とアナログ回線だったのだ! AT&Tのテレコンは特定の番号を入力することになっている。これはプッシュフォンでないと入力できないのだそうだ。あちらこちらに電話したあげく、あきらめ、ドイツのクライアントに電話を入れる。情けないやら参加できない旨を伝え、謝る。
9時少々過ぎにチェックアウトを済ませて、ホテルの向かえ側にあるチケット売り場でコルドバ行きの AVE のチケットを購入する。AVE とは、スペインの新幹線もどき、とでも言おうか。マドリッドからアンデルシアに向けて走る超特急の電車である。
電車の時間まで少々あったので、ホテルの1階のレストランで朝食を取ることにした。
ホテルのロビーで AVE の発着駅までの距離を聞いたところ徒歩で15分ほどだ、ということだったが、小雨が降る中重い荷物を引っさげて歩き回るのも何だったので、私たちはタクシーに乗ることにした。タクシーに乗って正解だった。とても15分で辿り着くような距離には感じられなかった。歩いていたら多分30分はかかっただろう。無事に AVE 駅につく。しかし、ここへ来て問題発覚。買ったチケットがコルドバ行きではなくセビーリャ行きだと判明。いろんなところでチケットの変更を試みるが、断念する。コルドバは手前にあるわけなので、多少高い値段は払ったが、途中下車を迫られることもない。
AVE は、マドリッドからコルドバまでを1時間40分ほどで旅する。全席指定で、3種類の客室からできている。最下位の客室でも、日本の新幹線の指定席なみの広さはあるので十分なのだが、乗った AVE はほぼ全席満席だったらしく、最高位の客室に乗ることになった。ボックス型の最高位のシートにはそれぞれテレビが備えつけられており、スチュワーデスならぬ添乗員のおねえさんたちが飲み物やら食べ物を運んでくれる。いたれりつくせりだ。
コルドバに着くと、まずマドリッドでお世話になった知人へと電話を入れる。コルドバでのホテルを紹介してくれるというのだ。1時間ほど駅でひまつぶしをして、知人が予約を入れてくれたホテルへとタクシーを走らせる。ホテルはユダヤ人街 La Juderia のど真ん中。闘牛博物館の真正面というすばらしい位置だった。ところが、この日コルドバはずっと雨。気温も冷え込み、空は憂鬱な鼠色。されど、ホテルに閉じこもっているわけにもいかないので、近くの売店のようなところで壊れかけた傘を買い、そそくさと街見物に出かける。まずはグアタルキビール川方面に向けて歩く。そこから目的のメスキータ (モスク) へ。写真ではかなり明るく見えたが、実際のところ中はかなり暗い。本来モスクの内部は明るいはずだが、コルドバを再征服したカトリック教徒による改造で、入り口はシュロの門以外すべてがふさがれてしまったらしい。そのために暗いのだ。ひんやりとした空気が漂うメスキータの中を歩く。とにかくすばらしいのは、天井の模様、壁の模様、柱、どれもがシメトリックであるということ。
このメスキータは、後ウマイヤ朝を築いたアブデ・ラーマン1世が 785 年に建築したのがきっかけとなり、その後数回に渡って拡張された。ガイドブックによると、848 年、961 年、987 年に改築が行われている。さらにレコンキスタの後 16 世紀からはじめられたカルロス 5 世によるカテドラルへの大改造が試みられた。つまり、明るかったメスキータの内部はこの頃から暗くなっていったわけである。白い石とくさび形の赤いれんがを交互に組み合わせてつくられたアーチの連続は、人の目をくらませる。そんな中に突然ロマネスク様式の丸天井とゴシック様式の祭壇がどーんと構えてしまうから、何となく悲しくなる。取り壊さずに改築したというだけよいのかもしれないが、何ともいえないアンバランスさが残る。
外へ出るとまだ雨だ。ちょうどシエスタの時間となったので、昼食を取ることにした。メスキータから通りをはさんで向かえ側にあるこぎれいなレストランへと足を運ぶ。メニューは当然すべてスパニッシュ! 何が何だか分からない私たちは、とりあえず分かるものを注文する。スープに、オリーブに、いかフリータに、パエリヤだ。どれも小皿で食べやすい量だ。いかのフリータはなかなかの美味だったが、パエリヤはいただけなかった。やはりマドリッドあたりの専門店に行かなくてはダメなのだろう。スープはこの地方で有名なガスパッチョを頼んだ。日本でいうところのガスパッチョとは違って、とてもクリーミーなのである。これはお勧めだ。
さて、腹ごしらえができたので、しばらく雨のコルドバを散策することにした。高く白い壁に囲まれた細い路地を歩きまわる。車1台が悠々と通れるほどの比較的”大きな”道に出たかと思うと、また細い道へとつながる。迷路のようだ。地図も見ずに勘だけで歩いていたら...そう、迷子になってしまった。東京でいうならば、世田谷の道のようなのである。クネクネと曲がりくねっていくうちに、東西南北の感覚がまったく狂ってしまう。唯一の方向案内人の太陽でさえ顔を出さない。とりあえずプラザのような場所に出たので、ようやくどこにいるかの検討をつけることができた。
小雨の降る中、小石が敷き詰められた道を歩くのは、なかなか辛い。コンクリートの舗装された道と違って、小石がやけに足の裏を刺激してくれる。それでも、シナゴガ (ユダヤ人教会シナゴーグ) を目指して歩く。スペインには、こことトレドにしかシナゴガは残っていないのだそうだ。再び迷子になりながら、30 分ほど歩いてやっとシナゴガについた。ここで、勘違いがないように説明しておきたいのだが、コルドバの街自体はさほど大きくない。道を知っている地元の人なら、30 分も歩けば街の端からもう片方の端まで歩けるのだろう。私たちが 30 分もかかったのは、迷路のように這う道をあちこち迂回していたからである。
さて、シナゴガについた。小さい。思ったよりも簡素である。けれど、今でも目をつむれば思い浮かぶほどの印象強さを持つ不思議な建物だった。暗く簡素なのに、なぜか心に暖かいものを感じる、そんな教会だ。
ボコボコ道を歩きなれていないせいか、かなりの疲労がたまり、その後はホテルへと直行した。それでも、通算3時間ほど歩き回ったらしい。少々休み、今度はアルカサルを目指すことにした。ところが、休んでいるうちに雨は小ぶりから大ぶりへと変化していた。傘をさしても足元が水浸しになるほどの雨だった。かといってホテルで寝ているわけにもいかない。とにかくアルカサルまで歩き、中を見物する。それほど建物自体は大きくない。どちらかというと、庭園が見ものだ。このアルカサルは、アルフォンソ 11 世によって 1328 年に回収されたようだ。キリスト教時代の王の宮殿で、異端審問の宗教裁判所として利用されたそうだ。庭園は、段々畑のようになっており、水が上から下へと流れていくようになっている。長方形をかたどった池が段々畑のそれぞれの段に広がり、水の豊富さを誇示しているようでもある。池の周りにはオレンジの木が一列に並び、夏の天気のよい日には池の水面にその鮮やかなオレンジの色を写すのだろう、などと予想してみる。
雨の中をさらに歩きまわり、ぐったりした私たちはホテルのベッドに横になったとたんに寝てしまった。楽しみにしていた夕食さえにも魅力を感じないほど、その睡魔は心地がよく、翌朝までぐっすりと寝入った。

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Last Update : 2002-12-30