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2001年1月26日 レンタカーでグラナダからカルモナへ


朝食はアルハンブラの中でビュッフェをいただく。やはり生ハムやらチーズやらがたくさん出ている。スペイン人は朝からこんなものを食べるのだろうか。と思いつつ、あまりにおいしそうなので、定番の卵のほかにモツァレラチーズとトマト、生ハムをいただくことにした。オレンジジュースは欠かせない。テーブルにはオリーブオイルが置いてあり、それを少し皿にたらしてパンにつけて食べた。いける。
朝食を済ませて部屋に戻り窓の外をふと見ると、私たちの借りた車が昨夕止めた場所とは違う場所 (といって斜めに後退したような場所) に動いている。はて、と思い、鍵をフロントに預けたのかと思っていたら、そうではないらしい。どうやら誰かが力ずくで動かしたようである。とにかく邪魔なのだろうということで、車をほかの場所に動かすことにする。
そそくさと荷物の整理をしてチェックアウトをすませる。この日は 10 時からアルハンブラのツアーに参加する予定だったからだ。チェックアウトを済ませ、車に荷物を入れようと近づくと、な、なんとサイドミラーが両側とも壊されているではないか!驚いたというほかなかったが、とにかくアルハンブラのツアーが始まってしまうので、その処理は後回しとした。
アルハンブラはすばらしい、の一言につきてしまう。ツアーは団体ツアーで、おまけにガイドさんの英語がかなり訛っていたので、分かりづらかったが、雰囲気だけは十分に楽しめた。


ベラの塔からアルカサバ方面を見ろす

ガイドブックによると、こうだ。「グラナダ王国自体が建国されたのは 1238 年。その数年後にはイスラム教徒の根拠地だったコルドバとセビーリャが陥落し、レコンキスタが完了しつつあるという風雲急を告げる時代のことだった。ナスル朝初代王アル・アフマール (在位 1232-1273 年) が行った数々の功績により、グラナダはこれまでになく繁栄し、その経済的威信を背景に宮殿の築城に着手した。イスラム文明の輝かしいモニュメントであるアルハンブラ宮殿は、都を見下ろす丘の上に建てられ、初代王没後も歴代王によって建設が進められ、7 代王ユースフ 1 世 (在位 1333-1354 年) の世になってようやく完成させられた。」
外観はそれこそそっけない石の固まりだが、一歩中に入るといっきに別世界へと連れ去られたような感覚に捕らわれる。壁と天井には精巧な彫り物がみごとなほど一面に広がっている。何とも幻想的だ。
アルハンブラ宮殿の心臓部が王宮だ。入り口を入ったところがメスアールの宮殿。執政の部屋らしく、重厚さを感じさせあられる。そこを左に折れるとアラヤネスの中庭。そこに面して旧城砦のコマレスの塔。その内部が大使の間だ。

メスアール宮殿からの景色だったような...

アラヤネスの中庭だったような...
アラネスの庭を左に進むと、ライオンの中庭がある。ムハンマド 5 世時代の 124 本の大理石柱のアーケードが四方を囲み、中央に 12 頭のライオンに支えられた噴水がある。中庭を囲む建物の 2 階には、王の后たちが住んでいたらしく、ここは王以外の男性は立ち入り禁止だったのだそうだ。

ライオンの中庭

アーチ型の通路がライオンの中庭の四方を囲む
王宮内ライオンの中庭を囲むそれぞれの部屋は特にすばらしい。その中でも二姉妹の間は、鍾乳洞を連想させる。

二姉妹の間の天井。繊細精密の極だ。

王の間の天井。まるで鍾乳洞だ。
ツアーを終えてホテルに戻った私たちは、まず車の件をフロントに伝える。思い出すだけで不快になるので細かくは書かないが、フロントの男性の対応から予測するに、彼は誰がやったかを知っていたようだ。こちらが情報を与えないのに、勝手に想像してか、いきがって答えてくる。おかしいではないか。まあ、これ以上戦っても無駄だと判断した私たちは、気を取り直して次の目的地まで車を進めることにした。
アルハンブラ側から眺めるアルバイシン。アルバイシンの街の上にはジプシーの竪穴式住居を見ることができる。
グラナダの道は大変分かりにくいが、今度は一度少々迷っただけでスムーズに目的のハイウェイへと出ることができた。ここからはとにかく一直線。次はカルモナだ。
カルモナまでの道はどことなく味気なかった。ハイウェイだから仕方ないのだろうが。途中大雨が降ったり、快適なドライブとはとてもいえなかったが、途中昼食を取ったレストランはすばらしかった。Jola という街だったと記憶している。こじんまりとした街で一番人気のレストラン、といった感じだった。若い人たちがバーではシエスタ時のお酒を飲んでいる。奥に行くとレストランとなる。窓際のテーブルに腰をかけ、小高い丘の上に建つ家々を眺める。とことんのどかだ。ここでは時間の流れがまったく違う。日本、というよりは東京での生活が不思議にさえ思えてくる。なぜあれほどまでにあわただしく生活する必要があったのだろうか、と。
さて、とにかく腹ごしらえだ。ここでは、3品を注文する。スープ、サラダ、そしてメインディッシュにはえびのガーリックソテー。店オリジナル (メニューには載っていない) のチキンスープは舌がとろけそうなくらいおいしかった。サラダもツナ以外は好みの味だったし、何といってもえびのガーリックソテーが絶品だった。テーブルに出されたパンと一緒に食べると何ともいえないコクの深さがパンの生地にからむ。最高だ。スペインにきて 3 日間。これまでに食べた食事の中で一番おいしかったのではないだろうか。それにサービスも悪くない。私たちが入ったときにはほとんど空っぽ状態だったレストラン側も、帰る頃にはかなり賑わい、すべての席が満席となったほどたった。なのに、ケビン・コスナーを小柄にしてひねったようなかわいいウェイターのお兄ちゃんは笑みを絶やさず穏やかに応対してくれる。紳士的だ。
すっかりシエスタになれてきたせいか、ゆっくりと食事をする癖がついてしまった私たちは、ここで2時間弱の時を過ごした。カルモナまではかなりある。明るいうちにつけばいいが、特にこれといって焦っているわけでもなかった。とはいうものの、これ以上の長居は無用なので、小雨の降る中、私たちは Jola の賑わうレストランを後にした。
カルモナまで行く途中、かなりの雨が降った。私は久しぶりのマニュアル車を走らせながら、緊張した。高速道路は比較的走りやすかったが、スペイン人は結構なスピード狂である。私もつられてプジョーで140kmを出していた...。大雨にあおられて横にぶれる。
地図によると、カルモナへは途中高速道路を外れ別の道を通って一直線に行くのが早道のようだ。ところが、雨のせいでどうやらその道を見逃したらしい。が、かなりセビーリャに近くなった時点でカルモナ行きのサインが見えた。思わず下りてみたが、これが何と畑の中の一本道だった。まわりには500mおきに農家が見えるだけで、あとは畑だ。一面湿った緑に覆われている。道はかなり舗装状態が悪く、スピードを出しては走れない。それでも、無味乾燥な高速道路をただ一直線に走るよりはかなり情緒があっていい雰囲気だ。農家は規模が大きく、ほとんどが白い壁で覆われている。ちょっとしたお城みたいだ。ここに住む人たちはどんな生活をしているんだろうか。きっと仲良し家族で、質素ながらも幸せな生活をしているんだろう、などと勝手に想像をめぐらしたりする。
カルモナへは比較的早くついた。午後 5 時を少々回ったほどだったか。天気は相変わらずよくなく、小雨がちらついていたし、とにかく風が強かった。ホテルは、カルモナのパラドール。このホテルは、セビーリャ門とコルドバ門とともにこの町を守る城塞のひとつだったアラブの城をドン・ペドロ王が宮殿に改装したものらしい。グラナダ攻略の際にはイサベル女王と夫フェルナンド王も滞在したそうだ。その恍惚な建て住まいは、カルモナが歴史ある街であることを証拠付けるかのようでもある。外はかなり暗くなっていたが、部屋のテラスから見る景色はすばらしかった。アンダルシアの平原が視野一面に広がった。
ホテルにチェックインした私たちは、スペインの遅い夕食の時間まではかなりの時間があるということで、ぷらりと街見物に出ることにした。外は暗く、寒く、風が強かったが、それでもホテルに座っているわけにもいかない。

パラドールへの入り口。重厚な門だ。
カルモナの街はとても小さい。ホテルは丘の最高峰に位置するが、そこから下って 8 分も歩かないところに街の中心があり、そこから街の入り口を示す門までは 3 分とない。とてもこじんまりとした街だ。が、かつて国王の居城があったために、歴史的な建造物が多いようだ。相変わらずに狭い石畳の道の両側には白い壁の家が隙間なく建ち並ぶ。その壁にはタイルが目立つ。スペインの家のほとんどが二重ドアのようになっている。外の壁に付いているドアの奥には小さなスペースがあり、その先にもうひとつのドアがあるのだ。そのドアとドアの間の小さなスペースにもタイルが敷き詰められている。とにかくかわいらしい。
狭い道をはさみ白い壁の家々が建ち並ぶ。壁にはタイルの看板が。

重厚な佇まいのセビーリャ門
カルモナの中心は、市役所や17世紀の建物に囲まれたサン・フェルナンド広場。天気のよい昼間は素敵なところなのだろう、と想像などしてみる。とにかく、私たちはセビーリャ門まで歩くことにした。セビーリャ門をくぐり、外に出ると、さらに活気付いている。どうやら、旧市街の外のほうが賑わっているらしい。それでも 2 分も歩くと何となくしんみりしてくるほどで、やはり小さな街にかわりない。やたらと銀行が多いのも気になった。大勢の若者たちがバーで飲んでいる姿も拝見できる。たしか平日だったよな、と思いつつ、やはりのどかなのだと納得。
とにかく寒いので、旧市街へと戻った。途中、タイルを作っている店があり、そこでしばらくタイルを眺める。とにかくかわいらしい。単なる数字が書いてあるタイルでさえ、その色のあせかたといい、数字の大きさといい、手作り感がたっぷり出ていて暖かいのだ。タイルでつくった壁画のようなものも多々置いてあった。
1時間少々歩き回り、かなりおなかがすいてきたので、ホテルへと戻ることにした。街にはこれといったレストランがないようだったので、その日はホテルで食事をすることにした。このレストランも昔、王が宴を催した大広間なのだそうだ。
食事は野菜でせめてみた。アンチョビとレタスのサラダ。ズッキーニの野菜炒め詰め。そしてスープにはかぼちゃのスープを頼んだ。すべてそれなりに繊細な味だった。天井の高い大広間でホワイトワインを入れたグラスを傾ける。時間はゆっくりゆっくり流れる。昔の王族たちはこんな時間を楽しんだのだろうか。
部屋へ戻るとばたんきゅー状態だった。スペインに来てからはほぼこの状態が続いている。とことん歩いているせいかもしれない。

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Last Update : 2002-12-30